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2010年10月25日 (月)

ポルポト大虐殺、和解への道セミナー@立教大学

10月23日、セミナーに参加してきました。
僕が東南アジア巡りの旅を終えてから、ずっと知りたいと思っていた「ポルポト」に関するセミナーです。
今まで、自分で学ぼうとしても、なかなかふさわしい資料がなかったから、絶好の機会やと思ったし、教えてくれた友人には感謝です。

セミナーでは、ポルポト大虐殺の生き残りの7人のうちの一人、チュン・メイさんが講演を行ってくれました。

ここから、チュン・メイさんの話を聞いて僕が思ったことを、多少非難があることを覚悟しながらも、包み隠さず書きます。

今回のセミナーの目的が「和解への道」であるにも拘わらず、彼の話は一方的な批判と被害者的視点からの体験談が多く、歩み寄りを感じられるものではありませんでした。
もちろん、ポルポト時代を肯定的に捉えて欲しいとは思ってません。しかし、ポルポト氏が何の意図や目的もなく大虐殺を行うとは考えづらく、虐殺された側の市民にも何らかの落ち度があったのではないか?と僕は考えています。だから、その「落ち度」として、どのようなものが想定されるのかということを聞きたかったのですが、そういった話は全くありませんでした。本当の意味での平和を実現するためには、加害者と被害者の歩み寄りと和解が必要だと思うし、そのためにはお互いが理解し合うことが欠かせないと思います。だから、その点が少し残念やなー、と正直感じました。

ただ、被害については、同情すべき内容も多く含まれていました。
何も知らされていない状態から、突然無実の罪で収容所に連れていかれ、数々の拷問を受けた。そして、周りから少しずつ自分の仲間が消えていく。自分もいつかその一人になるのではないかという恐怖に怯えながら、毎日を過ごす。その毎日も、ただの毎日ではなく、十分な食事や環境も与えられず、非人道的な拷問を受け続ける。それを、いつか再会するであろう家族のために耐え続ける。しかし、幸運にも出所したのち、家族は既に殺されていることを知る。
信じられない拷問の内容の苦痛についても想像できないものですが、家族を想って耐えてきた拷問から逃れた直後に、家族を失っていることを知った彼の絶望は、想像を絶するものだと思います。
僕は、戦後生まれの人間です。戦争がどれほどの苦しみのものかは理解できていないし、わかった風に話すのは戦争体験者に対して失礼だとは思いますが、彼は戦争に似たような経験をしたのではないかと思います。


一方で、このセミナーには本当に多くの人が参加していたことに驚きました。カンボジアは今、世界の中でも注目の国の一つだと言われています。様々な国の政府やたくさんのNGO、企業がカンボジアに支援し始めているし、自分が実際にカンボジアに行ってみても、それを肌で感じ取ることができました。支援の形は様々ですし、そういった団体や企業がポルポトについてどの程度理解しているのかは定かではありません。恐らく、これは僕の勝手な予想ですが、日本政府や多くのNGOは「支援しやすいから」という理由で支援しているように思います。そして、企業は、「将来のマーケットとして」支援しているのではないでしょうか。
本当にその国の役に立ちたいという想いがあるのであれば、その国の歴史を知ることは必要不可欠だと思います。だからこそ、こんなにたくさんの人が興味関心を抱いていることは、素直に喜ばしいことです。


カンボジア国民の3分の1が虐殺されたと言われるポルポト時代、約2万人が無実の罪で監禁され、虐殺されたと言われています。
こんな信じられないようなことが、1970年代と言う、本当につい最近起こっていたのです。

そして今、この事件の加害者であるポルポト派に対する裁判が行われています。
もし新聞などで見かけることがあったら、目を通してみてください。
そして、これからの「平和」いついて、考えてみると、何か自分の世界が変わるかもしれません。

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女子川」カテゴリの記事

コメント

やってますなぁ~
俺もカンボジアに行くと決めたから、参考になるし、今度詳しく聞かせてな!

一方の情報は、一方から偏って聞けるのは仕方ないと思うんだよなぁ~
こんなに和解の進んでる日米ですら、原爆に対する認識は違うし、アメリカは原爆についてはむしろ戦争を終わらせた英雄のように扱ってるらしいし。。。
だからこそ、もう一方からの意見も聞く必要もあるだろうし、それを封殺してはいけないのかもね。
ということで、ポルポト裁判については、ポルポト派の主張についても注目してみてみるわ~

本当の意味での平和とは?
すでに心の傷として刻みつけられてしまっている彼らを助ける事が出来るのは、彼らにとってはそのヒステリックな行動だけしかないのだと思う。
被害者の悪循環を断ち切るには如何にすればいいか。
政府やNGOやトヨタなどの財団の寄付は、実利に基づいてるだけであって、そういうお金がないと動けないスペシャリストもいるからね。必要だよ。
ポルポトの大虐殺事件を伝えるスポークスマンもたくさんいるだろうから、興味あるなら見れるといいね。

去年,カンボジアに旅行する関係でアンコールワット時代,フランス植民地時代を含めてざーっとその歴史について勉強してみて,ジョブウェブでも講演してみたのだが,ポルポト時代を理解する上で欠かせない視点がいくつかある。

1) フランス植民地時代から民族自治への動き
2) 40年代から50年代にかけての世界における共産主義の驚異
3) ベトナム戦争の影響
4) アメリカのアジアへの無知

1),2)について,
ポルポトら約10名の選抜された学生は,国の発展を支える技術を学ぼうとパリに留学していた。
そこで,発展したパリの町から見た祖国への問題提起が起こり,共産主義という考え方に出会う。ベトナムではホーチミンが,中国では毛沢東が独立を計ろうとして動いていた時代。
現代では”終わった”イデオロギーとして見向きもされない共産主義だが,
当時は世界の最先端を行くイデオロギーであり,それによって作られようとしている国家や経済体制はまさに成功の道を歩もうとしていた,ということである。
そこに,植民地であった人々が立ち上がろうとしていた民族自決の概念が混ざっていく。
つまり,国のためを思い,立ち上がった人がお手本にしていたのが毛沢東であり,ホーチミンであり,より強大な軍事力を誇っていたソ連のスターリンだった,というものだ。

彼らからポルポトが受けた影響は大きい。
カンボジアに戻り,密林に潜伏しながら政治活動,ベトナムの侵略に対する抵抗運動を続ける中で,スターリン主義に内省的な上座部仏教をブレンドさせた哲学を完成させていく。
スターリンの共産主義というのは極めて懐疑的,暴力的なもので,要約すると,
「裏切り者は殺してでも理想社会の実現を目指せ」というようなもの。
こういった思想をもち,極度な内省をしていくことによって,
「真の平等のためには知識は不要。よって,知識に基づく医学や芸術はこの目標の実現を妨げるもの。よって知識人は理想の実現を妨げる敵として排除しなければならない。」
というようなロジックで,多くの知識人がスパイ容疑で殺害されたわけ。
当然,けが人や病人を助けるはずの医学も否定され,子供が麻酔なしで外科手術を行うというようなことがおこなわれたのには,そういう考えが背景にある。

つまり,ポルポトが市民に対して行った行為に同情の余地はなく,基本的に市民に落ち度はない。そして,その行為はポルポトが統治した時代においては,法的に正当な根拠を持って行われた,ということである。(国際社会の人道概念とは全く別なものとして,ポルポト政権が運営されたという事。)


ただ,そのポルポトはカンボジアの大衆が求め,時代がその存在を支えてきたわけだが,その背景を説明するものが 3),4)である。

前述のように,太平洋戦争のソ連の驚異がアメリカの外交・軍事政策に大きな影響を及ぼした。
例えば,49年の中華人民共和国の独立宣言の頃には,国内の共産主義者は公職追放され(レッドパージ),アジアに詳しいというだけでスパイ容疑をかけられた。
それによって,ベトナムや中国の歴史,文化背景に詳しいものがアメリカの要職からはいなくなる。そうして,東ヨーロッパで起こった諸国の共産化(ドミノ理論)がベトナムや中国を皮切りにアジアでも起こるとして,防共のためにはじめたのがベトナム戦争だ。

実際には,ベトナムはフランスの支配から脱却するために民族自決にのっとって立ち上がり,都合が良かったから共産主義の思想を借りたまでで,中国とは仲も悪く,ソ連や中国と同じような国になるつもりはなかったのだが,アメリカが勝手にそう決めつけた。
(という双方の誤解は,90年代後半のNHKの番組で両国の政治,軍事の主脳陣の対談でも明らかになっている。)

そうして,アメリカはベトナムのホーチミン率いる民衆に対し爆撃を行う。
これだけ見ると,歴史を知らない人にはポルポトと何の関係があるの?と質問されそうなわけだが,大有りだ。爆撃を避けるため,ベトナム人達はカンボジアへ流れるわけだが,歴史的に仲のよくないカンボジア人にとっては,ベトナムの侵攻である。
アメリカにとっては,目標である敵を撲滅するため,カンボジアにも爆撃を行う必要がある。

こうして,カンボジアの一般市民が被害を被った。
シアヌークの政治に納得していなかった国民は,彼にはない理想を掲げ,ベトナムやアメリカと戦おうとして立ち上がっていくポルポトを支持するに至るのである。
その後の結果は割愛するが,75年にクーデターを起こし,プノンペンに入ったポルポトが絶大な支持を集めていたのはそういう事情がある。(その瞬間から,地獄は始まった。)

長くなったが,まとめよう。
ある一つの歴史事象を分析,評価するにあたっては,
・縦に続く歴史の因果は無視してはいけない。
・そして,同時代の空間的な影響も無視してはいけない。
・その時代を支えた思想的背景や法体系は,その当時の重みや意義を持ってとらえなければならない。(人権概念がなかった時代を人権概念で語ってはいけないし,国家主権のない人々を国家として扱っていては,正しい時代認識ができないという事だ)

「カンボジア内戦」というのも間違いではないが,様々な要因を構築していくと,内戦ではなく,米ソのイデオロギー戦争が置換えられたともいえる。


カンボジアにおいては,ポルポト時代に多くの知識人が殺害されてしまったため,国を支える知能がほぼ完全に断絶してしまった。だから,ベトナムやラオスに比べて圧倒的に国の発展が遅れた。

学校は作られているが,おそらく,そこで教えられているカンボジアの歴史は,上に述べたような世界史的背景の文脈で語られているものではなく,ただポルポトを悪者にしているだけだと思う。戦争を経験した年寄りが戦争を嫌うのと同じように,生き残った市民が恨むのは仕方ないとは思う。
しかし,ポルポトを生んだ時代背景をきちんと認識しなければ,第二,第三のポルポトは必ず生まれる。(あそこまで極端な粛正はしないにしても。)

ポルポトがやっていたことを端的に言うと,
「最先端の学問を学び,祖国を思って立ち上がり,理想の実現を徹底的に追及した。」

これだけです。
そういう人,今の時代にもいっぱいいますよね。

彼の論理の中では人民を虐殺したのではなく,
人民の敵を合法的に処刑したというものにすぎません。

今の時代,今の日本に置換えれば,
日本の民間企業の中にも,同じようなことが言えるところがありませんかね?
(一緒にするな,って言われそうだが,50−70年代における政治の位置づけと,今の政治の位置づけを一緒にしてはいけないという事ですよ。)

追伸:

フィリップ・ショートという人が書いたポルポトの本はお勧めです。
詳細な取材に基づいているし,毛沢東や共産主義の事もよく研究されている。

経済学,共産主義について全く理解しないでポルポトを語っている人権思想家や社会運動家の意見は,あまり価値がないので聞くに値しませんね。

へー。勉強になった。
いわゆるキリスト教的西洋文化を光というなら、第三世界の闇は、色んな要因が絡み付いてて解決!ということはスパスパ絶対いかないですね。というか。西洋文化が流入したから表出して来たという側面もありますし。
何が悪で何が正か分かりませんよね!なんていう思考停止もおかしい訳だから、
どちらかの視点に立って物事を必死に見つめてみないと分からないことだらけです。
ポルポトじゃないけど、
似たような事例に今興味あり。

てか、これたすくの記事じゃないんだな。

>TASK

日本でポルポト裁判がどれくらい報道されるのかわからんけどね~。

ってか、アメリカの原爆に対するその認識は事実?やとしたら、オレは今からでもアメリカに行って、原爆被害の演説をしますよ?

二項対立って言っても、カンボジアは国内での問題なのに対して、原爆は国家を隔てた問題。ちょっと違うと思うなー。
カンボジアの例と似ているものを考えるなら、ナチスドイツに似ている部分があるんちゃうかな、と個人的に思う。

「カンボジアに行く=アンコールワットに行く」
って人が多いけど、TASKがそれだけで終わることがないように期待してる。

>まなぶさん

すみません、これはたすくの記事ではなく、女子川(本名、好川)の記事です。
共同運営のブログなんで、ご容赦ください。
でも、こうやってたすくの関係者に自分の記事を読んでいただけたなら、共同運営の意味もなしているので、ありがたいです。

彼らの心の傷っていうのはわかるんです。ただ、そこに終始してしまっていては、進歩がないと僕は思います。
どういった事実があったのか(その中にはもちろん拷問や虐待も含まれますが・・・)をカンボジアの次の世代、そして世界中に発信し、同じ過ちを繰り返さないために、どうすればいいのか。
体験している彼だからこその発信力があると思うので、それを活かして、世界の平和に貢献してほしいと感じたので、こういった記事を書きました。

「本当の意味での平和とは?」
っていう問いは、僕も考え続けています。

「平和」「幸せ」「成功」・・・・
それが何なのかを決めるのは、単純に難しいなー、って思います。

>guttiさん

guttiさんもたすくのお知り合いですよね。
ものすごく丁寧な解説をしていただき、心から感謝いたします。
と同時に、自分の無知を思い知らされました・・・・元々世界史にはそれほど精通しておらず、自分が見て感じたまま意見を述べることが多いので、反省しています。ご紹介いただいた文献は必ず拝見し、まずはもっと勉強させていただきます。

それから、教えていただいた歴史を基に、私が感じたことを述べさせていただきます。

シアヌークの失政とアメリカからの攻撃に付け込んだポルポトが、国民の支援を受けて台頭してくるまでの流れについてはおおよそ理解できました。
このコメントをいただいてから、自分なりにもう一度カンボジアの歴史を調べ直してみたのですが、ポルポトに限らず、カンボジアが「カンボジア王国」という今の形を成立させるまでに紆余曲折を経ていることを知りました。その中で、トゥール・スレン収容所やキリング・フィールドというポルポトに関する部分がなぜこれほどまでに注目されているのか、もう少し理解を深めてからでないと、guttiさんとは対等には渡り合えない気がします。

あと、共産主義に対する理解は必要ですか?僕は、共産主義と資本主義(これが対立する概念であるとして)、どちらが理想だと言うことを述べられるほど理解していませんし、自身の意見も持っていません。ただ、「ポルポトが毛沢東から影響を受け、自らの考えを実現するために虐殺を行った」という事実と、そこに至るまでの過程が重要だと思います。共産主義に対する理解を深めることは、歴史の縦軸をなぞることと無関係に思われるのですが、いかがでしょうか。

今大学4年で時間が有り余っているので(笑)、自分の頭が整理できたら記事を更新します。
その時はコメントよろしくお願いします。

日本人はカンボジア支援大好きですよね!
NGOとかたくさんあるし。
だいたいが「カンボジアのこどもたち」とか、「学校を建てよう」とかそうゆうのばっかりであんまり好きじゃないです(>_<)自己満足だと思う。

はい,たすくとは出会い系サイトで知り合いました。こちらのブログも誰の記事やらよくわかっていない状態で適当にコメントしてました,失礼しました。。(いずれにせよ彼は読むと思い・・)

> 自分が見て感じたまま意見を述べることが多いので、

それが普通ですよ。基本的には僕もそうです。
日本のことだって,自分の生まれ故郷のことだって,そういう見方をしてますよね。
それに比べ,カンボジアに関しては,日本を含む先進国よりも圧倒的に情報が少ないのでわかりやすい分,縦軸でとらえるのは楽です。大昔は紙がなかったので文献というものがなかったので,石碑や遺跡から過去を調べるしかないし,ポルポトによる焚書坑儒のような政策で近代以降の文献すらもほとんど消えました。なので,割とあたらしい文献,研究成果しかないわけですね。(これに比較すると日米中の研究がどれだけ大変か…。)

> 共産主義に対する理解を深めることは、歴史の縦軸をなぞることと無関係に思われるのですが、いかがでしょうか。

経済理論の一つとしての深い理解までは不要かもしれませんね。
僕もそんなに理解はしてないです。

ただ,歴史の縦軸には大いに関係があります。

1つ目の理由として,前の書き込みとの重複になりますが,20世紀の世界陣営を左右したイデオロギーであったこと。

ソ連,ベルリン崩壊後に学校で学んだ世代には,現代社会を理解する上で,東西の陣営が緊張感をもって対立していたというのが想像しにくいと思います。
経済的な対立関係ではなく,NATO,ワルシャワ条約機構の軍事的な結びつきを前提とした対立であり,僕が小学校の頃はまさにその最後の時代で,世界や歴史をもう少し理解できるようになった中学生の頃でもリアルにそれを実感できた印象があります。今でいうソ連,北朝鮮,中国がいっぱいあるようなイメージがありましたね。自分が子供の頃は金日成も生きていましたからね。(その頃の大人がどういう感覚を持っていたか聞いてみたいところですが。)

今でこそソ連の崩壊によって,共産主義は失敗だという歴史的な評価がなされています。
しかし,全盛期の威力は今の僕らが想像がつかないくらいの勢力を誇っていた,それは理解する必要があります。
例えば,50年代から60年代にかけては,ソ連が宇宙開発の面でアメリカをリードしていました。宇宙開発のための技術力は科学技術力の高さ,軍事力に密接に関係します。計画経済や資本の国有化をベースにしたソ連が,資本主義に勝っていたわけです。国を成長させ,成功する大国に追随しようとするのは自然な流れです。
独立しようとした各国のリーダーが,米ソのどちらをお手本にして国を作るか,というのは戦後の途上国の主要テーマです。
つまり,ポルポトら国づくりのリーダーがどういった思想を持ち,どの方向に国を引っ張ろうとしていたかを理解しないと,彼の行動の本質は見えてこない,ということです。


もう1つの視点は,共産主義がどういうもので,ポルポトがそれを実現する手段として何を参照したかに着目する必要があります。

まず,共産主義は,一言で言えば資源を国有化した上であらゆるものを平等にしようとする思想です。この思想が,各国の経済政策や法体系をどのようなものにするかを決定づけています。
だから,土地を私有ではなく国有にしようとするし,知識による格差をなくそうとするし,全国民の職業も国が決めるべき,という発想が生まれてくるわけです。

ただ,スターリン,毛沢東,ポルポトに関して言えば,マルクスの共産主義とはかけ離れた思想になってしまったわけで。。
彼らは,こうした理想の実現のために,「非常な手段」を用います。その思想の一端を彼らの著作から紹介しましょう。

> スターリン『ボリシェヴィキ党の歴史』より,
・党員のふりをして破壊行為や裏切りをおこなう「人間のくず」に対する唯一の正しい対応は「容赦ない弾圧」である。
> 毛沢東『新民主主義論』より,
・共産党に協力するかそれとも反対するかのどちらかしかあり得ない。(中略)共産党に反対した瞬間からその者は反逆者となる。

ポルポトも彼らに傾倒しています。
「マルクスは難解でよくわからなかったが,スターリンはわかりやすかった」というようなことを言っていますからね。

そうして,理想社会の実現のためにポルポトが行った事が,こういうこと。
・知識格差をなくすための学校や図書館の破壊,知識人の虐殺。(存在自体が反逆者。)
・職業格差,財産格差をなくすための農村部・山間部への強制移住と強制労働。(結果として,過酷な労働や飢餓によって多くの人民を死なす。)

共産主義的な結果の平等を求め,手段としてはあらゆる粛正を用いた。

決して,彼がはじめから独裁者になろうとしていたわけでもないし,権力欲が強かったわけでもないし,国や社会に恨みを持っていたわけでもありません。
そんな個人的なエゴで動いていたわけではなかう,シンプルに,理想社会を(彼なりの解釈での)共産主義の実現に求め,手段としての方法論をスターリンや毛沢東に学んだ,ということ。
彼の行動の源泉を理解するためには,
ポルポトにとって共産主義がどういうものであったかを理解する必要があるし,
彼が育ち,政治の中枢に君臨するまでの20世紀中盤における共産主義がどのような位置づけであったかを理解しなければならない,ということです。

余談ですが,20世紀初頭から戦前の日本でも,優秀な学生や知識人の多くが共産主義に傾倒していますし,数十年前に若者だった世代…つまり今のじじい世代…は,若かりし頃の市民運動は社会主義的な思考回路の下に動いているわけですよ。今の民主党の中核は,まさにそんな感じですよね。

もう一つ余談ですが(余談じゃないくらい長くなったけど・・・),
このように,歴史を振り返り,評価する上で欠かせないのがその当時の文脈,背景に従って史実を理解する事です。
例えば,日本は「アジア各国の人々」に迷惑をかけた,とよく言われるのですが,当時のアジア各国に存在した国は,フランス領インドシナ(今のベトナム/カンボジア),イギリス領インド/ビルマというような感じで,タイをのぞけば大半がヨーロッパの支配下にあるわけです。日本は別にベトナム人に戦争を挑んだわけではないし,南洋諸島の人々に戦いを挑んだわけでもないです。
そこを支配していた宗主国であるイギリスが中国を支援し,中国が正式に条約で日本に割譲された領土に対して侵害を加えていたから,そのゲリラ活動の根源を根絶しようとして応戦し,同盟国からの補給ルートを断つために南下した,というのがざっくりとした戦争の経緯です。
ま,無関係な土着の人にご迷惑をおかけした…というのは大筋間違ってないと思うのですが,
正確にいえば,その人々を支配していた国を攻めた…言い換えれば,当時はイギリス人,フランス人とも言える人と戦う事になったというべきかな?

この話をし始めると長くなるのですが,開国以降の日本が植民地にならないためには,武装し,対等に渡り合える力を持つ以外になかったわけで,それは終戦まで何ら変わらなかったわけです。一方で,植民地になった国々は,戦後になって独立闘争を経て独立を勝ち取りましたが,日本の場合は,明治維新以降の数十年が「植民地にされないためにふんばった時代」と言ってもいいのではないでしょうか。

日本人がそのように考えられないのは,戦争と戦前体制を全て悪だとする戦後教育がそうさせているからです。
ポルポトが完全悪だと決めつけられていて,彼を生み出した時代背景や時代状況を全く無視する人が多いのもこれと同じ。
(もっとも,この場合は,国際法的な人権感覚からしてもかなりずれた国家政策を行っていたわけですから,人道的にも国際的にも問題はありますけどね。)

世界史的な文脈における日本の立ち位置を理解し,日本の行為を当時の国際法に関連させて理解し,戦争行為をハーグ法の下において理解すれば,大半は正当な外交手段だと解釈する事ができます。その文脈で考えた場合に完全に違法だと言えるのは,ソ連のシベリア抑留とか,北方領土支配とか,原爆の利用とか東京大空襲,ナチスのジェノサイドですね。
(確実にそうではない,といえる事象があったとしても,当事者を国内法や国際法で裁けばよいだけの話であり,長きにわたる国家賠償にはなり得ない。)

日本の学校教育は,大学でもそういうことを教えません。
だから,今の時代の価値観だけで白黒をつけて見てしまうのです。
19世紀終盤以降は,国際法がなかった野蛮な時代とは違いますので,一連の行為は外交手段として適法に処理されています。
法学部では国際法を教えていますが,歴史事実を絡めて評価するようなことはおそらく学ばないですよね?(ほとんどの人が。)
ちなみに,そんな戦前にも日本は戦争を国際法的に違法な行為にしようという提言を出していたのですが,ヨーロッパの各国から反対されています。
戦争という外交手段の正当性がなくなるのは,どの国にとっても不都合だったからです。


法律は完璧なものではありません。
ただ,法律に従って行動する事で秩序が守られます。秩序が安定,平和を守るために不可欠なものです。
そのために法治主義という考え方に徹することは,重要です。

本当に超法的な措置をとらねばならない時はあるかもしれませんが…,過去にそれを行ったのはフランス革命,明治維新など,いずれも法的に見ればテロ行為といえるものです。
今はその上に歴史が作られているので,正当化されてしかるべきなのですが,それだけのパラダイムシフトを起こす時期でない限りは,法治主義に徹するべきだと思います。
それを破ったのが,最近だとイラク戦争ですかね。平和のためにという大義名分があったと思いますが,そうなったでしょうか?

というわけで,ポルポト裁判も日本の過去も,この考え方に徹して理解し,立場を主張する事が,平和への道だと僕は考えています。
原爆の被害を二度と起こさない,というのはその選択肢を絶対に選ばないことを念頭に考える,という意味では正しいと思います。
しかし,法治主義の原則に従って徹底的に議論すれば,アメリカは純粋に国際法違反を起こした,という歴史的評価を下す事になると思います。
(これが一番最初の日記の提言に対する答え,になるかな?)

縦横の時代背景をきちんと踏まえて振り返る,というのはそのために欠かせない事,として長々と書かせて頂きました。


P.S. だいぶ前の日記をみましたが,ベンメリアは僕もいきましたよ〜。

あ,そうそう。大事な事を書き忘れました。

原爆が殺した人間の数は30万人程度ですが,
マルクスの理想が歪められた共産主義によって殺された人間は数千万人です。
爆弾よりも遥かに殺傷能力のある武器,これがイデオロギーとか教育というものです。

人間の強固な信念に,これらイデオロギーや教育による思想が結びついた時に起こります。
だから,強大な力や権力を身につける可能性のある人間には,教養が求められます。
方向性を決定づける考え方一つで,色々なことをいい方向にもよくない方向にも導いてしまうからです。それを決めるのが倫理観でもありますが,その倫理観さえ絶対的なものではない。
それは,絶対的なものではなくて,教養,知識によって変わる曖昧なものだからです。

なんかこの記事でさっそく共同ブログの狙い通りのことがおきてますね。
・TASKの知り合いから、他の人のところにも記事が飛んでくる。
・閲覧者同士が刺激しあい、ブログ執筆者に対してもフィードバックがおきる。
とてもいい結果だと思いますし、guttiさんの丁寧な解説には毎度のことながら感服するばかりです。
論証力を初めとした文章力や知識、考え方など見習うべきことが満載でした。
まなぶもダマしたわけではないけど、コメントありがとう!!

ちなみに
>たすくとは出会い系サイトで知り合いました。
ってのはお分かりかと思いますが、guttiさんのギャグですw
決して我々が男同士で知り合うための出会い系サイトを利用しているわけではありません。

自分の感想として、以前に読んでいた東アジアの冷戦に関する本があって当時はさっぱり分からなくて途中で挫折したものがあったのですが、
最近の中国とのゴダゴダをきっかけに読み直してみたのですが、その中で、最近見つかった旧ソ連側の資料などを元に史実をまとめているところがありました。
そこで冷戦初期の北朝鮮の建国に関する事項などでも、スターリン、金日成、毛沢東たちの役割やそれに対する認識が新しい資料の出現で全く従来の説(アメリカや西欧州の資料を中心とした説)が大幅に変更させられたということもあったのが印象的で、
その情報の非対称性に驚いた一方で、自分たちがもともと西側だったから、従来の説の認識になっていただけで、旧ソ連側についての知識であったり、比較的自分の国に関係のあった大きな事件ですら正しい認識とか偏っていない見方ってのが大変なんだなぁと実感させられましたね。
また冷戦というひとつの時代では、共産諸国は旧ソ連を中心として、思想が広まり、各国の中で各国のリーダーを中心に咀嚼解釈されて、結果がポルポトならポルポトのようになっていったんだなぁと…今思えばですが、
その結果の表象部分すらしっかり追えていない自分が恥ずかしくなりましたね。

ということで、まずは高校レベルの世界史からおさらいをして、事実の因果関係を縦と横から眺めてみて、さらに深いところを知るために思想であったりその時代に存在したイデオロギーといったものを知っていく…

そんな手順でいいもんですかねぇ?

>美咲

まあなー。それが本当に向こうの人たちが望むものなのであれば、一向に構わないと思うんやけど、どう考えても先進国側の価値観の押しつけに思えてまう・・・・
そして、子どもたちの写真撮って(オレも撮ってたけど笑)喜んだり、人に自慢したりしてるのを見ると、「この人たちはどれほど真剣に途上国のことを考えてるんやろ?」とか、疑いの目を向けてまう・・・・・オレも悪い人間になったなwww

>guttiさん

お返事ありがとうございます。

確かに、共産主義は20世紀を代表するイデオロギーと言えますね。
まだ、マルクスの著作すら読んだことがないので、一度手に取ってみなければならないと感じました。
最初のコメントの方でguttiさんもおっしゃってますが、ポルポトが学んだのはスターリンや毛沢東の方法論だけではないですよね?彼らの思想の中から、カンボジアで伝統的に受け継がれていた上座部仏教の考え方をブレンドしたポルポトなりの「共産主義」を誕生させたのであれば、まずはベースとなる部分をしっかり学ぶ必要があるように思います。
そして、スターリンや毛沢東がどのような方法で粛清を行っていったのか、正直全然知りません。(無知ですみません・・・)なんで、そこらへんの年代の知識をまずは蓄積しなければならないですね。

また、そういったトップの人や主導者と呼ばれる人たちの考え方ばかりに着目するのではなく、そういった思想が民衆の中にどのような形で浸透していったのかという視点も併せ持って学ぶ必要があるように思います。
今回、クメールルージュの被害者の話を聞いて、被害者側からの視点ばかりだったのが学びたいと思ったきっかけでした。今回の記事は批判的に書かせて頂いていますが、彼らが受けた被害を軽視していいものだと感じたわけではありません。

「平和」という概念を共通もの、あるいは誰もが感じられるものにしていくためには、民衆レベルから変革が必要だと考えています。誤解されてしまうといけないので付け加えると、思想の統一が必要だと述べているわけではありません。ただ、「平和」とは何なのかの定義と言うか、共通理解は必要なものだと感じています。

それから、TASKの友達とは言え、見ず知らずの若造に、こんなに丁寧に教えて頂いて本当にありがとうございます。自分でも無知は自覚しておりましたが、改めてより勤勉さを身につける必要性を感じました。
いつか、対等に渡り合えるほどの知識と、自分なりの歴史的見解が述べられるようになったら、直接お話ししてみたいです。

>TASK

いや、TASKの周囲の方々は、優秀な人が多いねw刺激を受けるってのは、まさにこのことやと思った。
TASKが怪しい出会い系サイトを利用していることは口外しないから、心配無用やで!!(笑)

そんな本あるなら、貸してやー。世界史の知識がホンマに足りなさ過ぎて、自分でも嫌になる。一からとは言わんけど、近現代史を学び直すくらいは絶対する。
それが、大好きな東南アジアの国の方々に対する礼儀やと思うし、これから自分自身が国際協力やら途上国開発やらに携わっていく上で必要不可欠なことやと思うから。

TASK:
>最近見つかった旧ソ連側の資料などを元に史実をまとめているところがありました。

お,なかなかいいところに注目しましたね。

歴史マニアな友人の話ですが,
ソ連が崩壊し,CIS->ロシアに移行する過程で,大量の秘密文書が流出したそうです。
アメリカがそれを逃すはずがなく,その期間に多くの歴史資料, 一次史料を入手,議会図書館(NDL)に収納してしっかり研究,分析しているとか。法律上,20ー30年くらいは公開できないというような感じの事を聞いたのだけど,まもなくソ連崩壊から20年が立ちますので,これから10年くらいは新たな史実が色々判明してきて,歴史観を塗り替えるんじゃないかな,なんてことが言われてます。これは僕も受け売りですけど,情報発信源は歴史学者の論文を専門家でもないくせにフォローして読んでいるくらいのオタクなので,それなりに信憑性はあると思います。
(その点での知識量は僕の非ではないので。)

※ 念を押すと,一次資料ではなく,一次史料が大事ってことです。
当事者の証言なんかも一次資料とは言えるのだけど,記憶違い,嘘,ってことはよくあって,時代背景その他の信憑性をしっかり判断して歴史学上正しいと見なせてはじめて「史料」として認定されます。例えば,南京事件あたりはでっち上げが非常に多く,ひどいものだと1900年頃の山賊の処刑写真を日本軍がやったことにしていたり,それを日本のマスコミが真に受けて報道したり写真展したりしてますので。


>世界のジョシカワ さん

スターリンや毛沢東を勉強しすぎると鬱になりそうなので程々に…。
ポルポトだけでもかなり気分が悪くなります…。
暗黒時代の勉強をする時は,できるだけ楽しい時間も並行して持つべきです。
言われなくてもやってると思いますけど,集中して勉強するエネルギーを持っている事は感じるので,そうなりすぎずにあえて楽しい事をやった方がいいと思います。

>見ず知らずの若造に、こんなに丁寧に教えて頂いて本当にありがとうございます

僕にとっては知り合いかどうかはあんまり関係なくてですね・・,
何かしら熱意があって,真摯に対応する姿勢があれば十分なのです。
僕が学生の頃も,ネットやメールを使った議論はそうやっていましたし,それにつき合ってくれる学生や社会人がいっぱいいました。
当時も,こんな感じで毎晩「レポートを書くように」やりとりしていた人がいて,それはそれは面倒でしんどくて,学校の授業よりもある意味で大変だったのですが…(できるだけ正確な事実を参照しながら書いている点ではレポートよりも適当にできない),あれで相当鍛えられました。

まあ,相手の考えを全部認めるのが嫌だったり,自分の考えが直感的に正しい部分も多いはず,と思っていたのでそれを証明するためにがんばっただけなのですけどね。一方で,自分が無知な部分は素直に吸収すればいいや,と思っていました。

つまり,知識ありきで勝負するとか会話することに興味があったわけではなくて,
何らかの立場にたって意見を述べたり,問題提起を持つ事を重んじただけです。
当時も今も基本的にはそれは変わりません。

ポルポトやカンボジアの事を少々つっこんで勉強したのも,
普遍的な倫理やリーダーシップというものを,歴史から学んでみようと思ったからです。
もちろん,対象となる歴史事象は色々なものに及ぶのですが,あくまでその一サンプルとして。

こういう事を自分でやる方が,流行に左右され,消えていく本を読むよりも価値があると思っています。10年前に出版会社のマーケティングによって持ち上げられた企業成功事例なんて,今は誰も参考にしないでしょ。だけど,それよりは普遍的なものは歴史から学べると思ってます。
そして,そういう軸を持っていれば,中途半端な識者の見解に流される事はないから。
(もちろん,たまにはトレンドを知る事は必要です。)

>いつか、対等に渡り合えるほどの知識と、自分なりの歴史的見解が述べられるようになったら、直接お話ししてみたいです。

もちろん,いつでもどうぞ!

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