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2010年9月

2010年9月25日 (土)

旅はまだ、始まったばかり

昨日、ホーチミン空港から、成田空港に戻ってまいりました。
日本に帰ってきたけど、まだイマイチ戻ってきたという実感はなく、明日はまた違う町や国に行くかのような気分です。

3週間という、長いような短いような旅でした。

一般的にいうなら長い、けど旅人たちにしてみたら短い。
自分の感覚としては長い、旅先で出会った世界一周トラベラーからしたら短い。

そんな期間です。




最初は、正直「早く帰りたい」で始まった旅でした。

着いて初日に携帯電話を失くしてテンションが下がり、トゥクトゥクドライバーに騙されていろんなところを連れ回されて・・・・

そんな中で出会ったものは、全てが新鮮で、全てが自分の日常とは違っていて。

そんな生活にいつの間にか溶け込んでいる自分に、帰ってきてみて驚いて。

そして何より、旅先で出会った人々は、自分の人生における宝だと言っても過言ではないと思います。

いろんな人と出会いながら、自分の道を模索し、少しずつ成長する。

今回の旅は、どこか自分の大学生活を象徴するような旅になったように思います。

そして、この旅を機に、本気でバックパック旅行を趣味にしていこうと思います。

世界を自らの肌でもっと感じていきたい。

そういう風に思いました。

ただ、これはあくまで「趣味」です。

国際協力や途上国開発。

この旅を始める前からずっと考えていたこと。

これに対する自分なりの結論を導くのは、まだ少し早いように思います。

ただ、自分の中のテーマはなんとなく見えてきたようにも思います。

まだ浅い考えやから、ここには書きませんけどね。

最後に・・・・・・

ベトナムはマジでいい国!!!

誰か卒業旅行で一緒に行こう!!!

2010年9月17日 (金)

カンボジアの可能性

みなさん、お久しぶりです!!

久しぶりに日本語が使える環境に来たので、まとめていろいろ更新したいと思います。


まず、ここ1週間ほど、カンボジアに滞在しておりました。

もちろんアンコールワットに行ったし、ベン・メリアという『天空の城ラピュタ』の舞台になったといわれる遺跡にも行ってきました。
いろんな遺跡を訪ねてみて思ったことは、

「もっと世界史を勉強してくればよかった・・・・」

ということです。
アンコール朝の話とか全然知らんし、その成立と崩壊の歴史的背景を知ってるのと知らんのでは、見方も変わってきたやろなーと後悔です。
帰ったら、東南アジアの歴史を勉強したいと思います。



東南アジアの歴史を勉強したいと思った理由がもう一つあります。

それは、ポル・ポトについてもっと深く知りたいと思ったからです。

僕は今、プノンペンというカンボジアの首都にいます。
これといって観光名所は多くはないのですが、ポル・ポト政権の傷跡を知らされる機会になりました。

トゥーン・スレン博物館やキリング・フィールドといった、ポル・ポトがクメール・ルージュ(?)の際に、処刑場・拷問場・牢獄として用いていた現場を見てきました。

アンコールワットやベン・メリアの壊れている部分も、ポル・ポトによるものだとは聞いたのですが、遺跡が壊れているのを見るよりも、人間が人間として扱われていなかった写真や歴史的事実を知った方が、その壮絶さや悲惨さが生々しく伝わってきます。


そして、それらを通じて僕が感じたのは、

「カンボジアの可能性」

です。

機会があれば、国民の一人一人がポル・ポトについてどう思っているのか聞いてみたかったのですが、いかんせん英語が通じないので・・・・ww

ただ、こういった失敗をし、それを反省として捉えて前に進もうとしている姿勢に可能性を感じました。

第二次世界戦争の日本をはじめ、ナチスドイツや黒人奴隷解放をしたアメリカなど、過去の失敗を糧にした国々は、大きく成長しています。

また、漫画の話で申し訳ないですが、ワンピースのビビの父親で国王であるネフェルタル・コブラはこう言っています。

「過去を無き物にすることはできない。この過去の上に立って、強くなってみせよ。」

と。(うろ覚えw)



世の中は何が正しいかわからない。
前にも書いたように、何が「成功」で、何が「正義」で、何が「幸福」か・・・なんて、簡単に決められるもんじゃないです。

ただ、人が人を殺め、人の上に立とうとする社会は、あってはならないと思います。

この経験の上に立って、カンボジアが世界に対して、平和を訴えていけるような国になってほしいと、そんな風に思ったカンボジアでした。




今からベトナム行ってきます!!

2010年9月11日 (土)

不法滞在


みなさん、「不法滞在」という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか??

北朝鮮やキューバから亡命した人々??
日本に出稼ぎにくるフィリピン人??
海外逃亡中の犯罪者??

そんなとこでしょうか。

実は私好川慶祐、ラオスに不法滞在していたみたいですwwwwwww
普通の平凡な日本人の私がwwwww



ストーリーをお話します。
9月4日、タイとラオスの国境を越えました。
その際、イミグレーションを「1回」通りました。

オレはてっきり、それで万事OKやと思ったのですが、よくよく考えれば・・・

タイからの出国のイミグレーション
ラオスへの入国のイミグレーション



と、国境を越えるためには、二度イミグレーションを通らなければなりません。

こうやって聞くと、当たり前やと思うかもしれんけど、実際日本から海外に行くときはいつも飛行機やから、出発前と出発後、絶対にイミグレーションを通ります。


しかし、陸続きの国境であれば、そのまますんなり入れちゃったりしますwww



そして、つい昨日9月9日。

ラオスからタイに再び戻ろうとした時です・・・・・

「お前、入国スタンプ押されてないぞ」

と言われ、賄賂の要求かと思ったんですが、何度見ても押されてない。

入国審査を受けてないですからねwww


それはすなわち、オレは「不法滞在者」やったわけで、そのまま取調室みたいなとこに連れて行かれました。



そして、罰金なんと・・・・・


100ドル!!!!!


普段であれば、法を犯したのに、そんだけでいいのかとか思ってしまいますが、今回は別です。

その日に国境を越えずにいったん戻って、ビザを申請しなおすこともできたのですが、バス予約しちゃってたし、戻ったら「ボスに会ってもらう」とか怖いこと言ってくるし、渋々払いました。
予算4万の旅行で、約1万をみすみす失ったわけですから・・・・・

これから帰るまで、リアルに何も行動できなくなるかもしれません。


海外から日本のお金を下ろす方法を、誰か教えてくださいwwwww

2010年9月 8日 (水)

JICAなお話

昨日書いたように、昨日の夜にパークセーにあるJICAを訪問させていただき、いろいろお話を聞いてきたので、そこで聞いたことと、それに対して自分が感じたことを書き綴ってみようと思います。
かなり長いんで、心して読んでくださいwww


まず、昨日訪問したJICAで行っているプロジェクトは、いわゆる「医療」(保健?)にかかわる分野です。
自分が一番興味ない分野ですねwwwけど、知っていて損はないし、むしろ昨日話を聞いて、医療の大切さを改めて感じました。


そこで行っているプロジェクトの内容を、ざっと説明すると・・・・

『分娩の際の衛生管理が、ラオスではまだ十分に行き届いていないため、その必要性を広める』

という目的で、今の現状ではあらゆる政府機関やNGOがそれぞれいろんな方向を向いて突っ走ってしまっているため、統一した衛生管理の方法を伝授するプロジェクトが必要だとJICAが思い立ち、特にラオス南部の保健所や病院などに対して、教育を行っているのだそうです。
なんで、直接妊婦さんと関わることは、それほど多くないとのこと。

僕がお話させていただいたのは、クボタショーゴさんという、中年やけど、かなりイケメンなオジサマ。
アメリカの大学を卒業し、医師免許を持ち、タンザニアの難民キャンプで7年働き、さらに4ヶ国語(日本語、英語、中国語、ラオス語)を話せるという、スーパーエリート。
ただ、そんな肩書きに負い目を感じてたら、聞きたいことも聞けないので、ただの気のいいおっちゃんやと思って話しましたwww


僕がとにかく聞きたかったのは

・なぜJICAのプロジェクトに参加しようと思ったのか
・支援の効果や影響は、実際感じられるか
・支援は本当に必要だと思うか
・「幸せ」とは何か

という4点です。
その他もろもろ突っ込んだ話もしましたが、この4つがメインだったので、それについて書かせてもらいます。


まず、1点目。
質問の意図としては、医師免許を持っていながら、実際に医師として働くわけではないこのプロジェクトに参加する意義、そして国際医療に携わりたいと思った動機を聞きたかった。

答えとしては、「恩返し」である。

クボタさんは、高校時代にタイに留学していたことがあり、その際に途上国であるというのを感じながらも、多くの施しをタイの人たちから受けた。
そんな国に対して、恩返しがしたい、タイに限らずも、自分を受け入れ、温かく迎えてくれた途上国に恩返しをしたいということだった。

さらに、ここで聞いた心に響いた話としては、人間は自分が経験したことから何かをしたいという思いが生まれ、そのたくさんの経験を自分の中で消化していった結果、本当にやりたいことがみつかるという話。
まさしくその通りだと感じたし、納得のいく説明だった。


2点目。
やはり目に見える効果がなければ、何事も続けるのは困難だと自分自身は思っているので、聞いてみた。

ただ、この件については、プロジェクトが始まってまだ2ヶ月程度しか経過していないので、全然目に見える効果はうまれてないとのこと。


3点目。
自分自身、今回の旅を通じ、国際協力や国際支援の必要性に疑問を抱き始めていた。
というのも、この前の日記に書いたコープンタイ村の電気の件もしかり、今日ビエンチャンに日本が開発した道路があったのだが、それも絶対必要なものだと感じられなかった。

答えとしては、「Yes」。
そして、「必要か必要でないか」(Which)を考えれば絶対に「必要」なので、「どう支援するか」(How)を考えなければならないと教えてくれた。

実際に、長く国際医療に関わっているクボタさんの感想として、支援になていないような支援も数多くあるという。
それどころか、むしろ害になっている支援すらあることを、嘆いていらっしゃった。

そういうことが起きないようにするには、何が必要か。
『対話』と『理解』である。

クボタさんのプロジェクトを例にすると、分娩の際の衛生管理が出来ていないのは、多くの農村である。
そして、なぜそれができていないかというと、①知らないから②長らくの伝統だからという2つの理由が挙げられる。
知らないことに対しては、教えればいい。ただ、伝統を壊してまで、衛生管理は徹底させなければならないのか?

だからこそ、対話と理解が欠かせない。
当たり前のことのように聞こえるかも知れんけど、それが出来ていないのが現状である。
相手の文化や伝統を理解し、その中でどうやって自分たちの意見も受け入れてもらうか。
衛生管理の方法は、絶対に一つしかないわけではない。
その人たちの伝統を尊重しながら、その村に合った形を、新たに作ればいいのである。


最後に、4点目。
ラオスという国のGDPは、日本の100分の1らしい。しかし、日本では年間約300万人が自殺をするが、ラオスでは自殺などほとんどない。
さらに言えば、常に笑顔が溢れるラオスと、険しい顔をしながら移動する日本、どちらが幸せなのか、単純に疑問に思ったので、クボタさんなら何かしらのヒントを与えてくれそうなので聞いてみた。

クボタさんの意見としては、幸せは人それぞれである。
お金儲けに幸せを感じる人もいれば、人の笑顔で幸せを感じる人もいる。
だから、その自分が幸せを感じるポイントを、見つけ出せているのがラオスの人たちで、それができていないのが日本人ではないか、ということだった。

確かに、日本でお金儲けをしようとすると壁は多いし、非難にさらされることすらある。
すべてを認めるわけにはいかないが、そういった自分が幸せを感じることをしっかり見つけ出せた人が人生を謳歌できる人であり、それを見つけるお手伝いをするのが「教育機関」であると、僕は思う。



以上、長々と書かせていただきました。
たった1時間程度のインタビューやったけど、また一つ大きなお土産ができたと思います。

写真は左から自分、ジェン(シンガポール人)、クボタさんです。
ジェンとは、3日間一緒にいましたが、まあいろいろありましたwww
それもまた、後日書かせてもらおうと思います。


ではでは。
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2010年9月 7日 (火)

ラオスと言えば・・・・

<ラオスの名産品>

と言われて、思い浮かぶものってなんですか??



オレは特に何も思い浮かばんかったんやけど、行ってみたらなんかあるやろと思い、今ラオスにいますが・・・・・





何もない!!www

シルクはタイでも売ってるし、竹篭もカンボジアで売ってるらしいし。

ラオスにしかないものって、なかなか難しいです。



でも、オレが思うに、そんなラオスのいいところは、やっぱり『人』だと思います。

「人がいい」なんて、いろんな国でよく言われることやけど、ラオスは別格やと感じる。



今日一日、自転車でいろんなとこをウロウロしてたんやけど、みんなこっちを見て

「サワイディー(こんにちは)」

って言ってくれたり、こっちから挨拶すれば、何か現地の言葉で言ってきたりします。

きっと

「どこから来たのー?」

だったり

「何してるのー?」

だったり

「お兄さんイケメンだねー」

だったりなんでしょう。




そんなサイクリングが、楽しくないわけがありません。

風景ものどかやし、笑顔が絶えないし。

原付の排気ガスと木を燃やした灰が臭いのが欠点やけど(笑)



ラオスに行くなら、お寺とか見るより、いろんな村に行ってみることをオススメします!!




あと、昨日はいろんな出会いがあり、日本人のJICAスタッフの家に泊めさせてもらいました。

昨日はあまりゆっくり話ができなかったんで、今日いろいろ聞いてきたいと思います。

2010年9月 6日 (月)

コープンタイ村

今日はラオス中央部にある<コープンタイ村>という村に行ってきました。
ラオスには約50の民族が住んでいるといわれており、その中でもこの村に住む「カトー族」というのは、比較的多い部類に属しているらしいです。
そして、そこには多くの伝統が残されていました。
・一夫多妻制
・その村特有の言語を持つ(ラオス語とは全く別)
・死んだら、そのまま埋める
・子供を生んだ女性は、2週間家に入れない
・女の子はアクセサリーを身に付けなければならない
・60歳になったら、自分の墓を自分で作る
・村から一日以上出た者は、二度と戻ってきてはいけない
などなど。。。。。
現代社会では考えられない、多くの伝統が残されていました。
そしてそして!!
この村には電気が2000年から通るようになったらしいのですが、それを通したのは日本政府らしいです。
さらに、この村にはいくつかの井戸があって、そこからみんな水を供給しているのですが、その井戸も日本政府の支援によるもののようです。
日本の開発途上国支援と言えば、金だけ出して何もしないというイメージですが、ちゃんと日本政府の役人が来て、2週間ほど滞在し、この村に何が必要なのかを検討した上で、支援を実施したようなので、思ったよりも日本はちゃんとしてるんやなーと思いました。
ただ、最後に質問で
「電気は必要でしたか?」
と質問したところ、
「It makes our life good, but not necessary.(生活はよくなったけど、必要ではない)」
という答えが返ってきたのは、正直驚きでした。
僕らの生活には電気は欠かせないものの、彼らの村に電気が通ったところで、それほど需要はないみたいです。
長期的に見れば間違いなく必要なんでしょうけど、「電気通したから、後は頑張ってね。」では駄目みたいです。
だから何って、途上国支援って難しいなーってことですよ(笑)
あと、幸せってなんなんやろなーとか考えてまうよね、こんなん聞いたら。

2010年9月 4日 (土)

FROM ラオス

ついに、国境を越えました!!
写真をアップしたいけど、SDカードが使えない状況なので、それができません。。。。
今、ラオスのパークセーというところにいるのですが、ザ・田舎って感じですねwww
チャリ旅の日記も書こうと思ってたんですが、いろいろハプニングがありまして、書けませんでした。
そして、この旅のメインであったチャリ旅ですが、早くも断念することにしました。
理由は多々あるのですが、書いても言い訳にしか聞こえないと思うので、書くのは控えます。
自分なりにいろんなことを考えた結果なので、後悔はしてません。
し、別に誰のためにやってたわけでもないので、途中で虚しくなってきたのも事実ですww
まあ、ラオスまで、よく頑張ったと言ってあげてください。
ラオスに着いてからまだ数時間ですが、今のところ圧倒的にタイの方が好きです・・・・(笑)

2010年9月 1日 (水)

アユタヤ

昨日一日バンコク過ごし、今日はアユタヤという古都に来ています。

自転車の旅と言いながら、早速電車使いました、すみません。

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いかんせんバイクが中心の環境で、自転車売っているところがなかなかなく、レンタサイクルが多くあるアユタヤなら手に入るかと思い、来てみました。

そんなわけで、今日中に何とか手に入れたいと思います。

んで、世紀の大失敗を犯しました。

海外で使うために・・・・・と購入した≪スマートフォン≫。

早速なくしました。。。。。。。。。

正直、かなりテンション下がってます。

「footprint機能」っていう、GPSで自分の歩いてきた道を記録してる機能があって、それで自分の足跡を楽しもうとおもってたのに。

んなわけで、今アユタヤのネットカフェ(?)から更新してます。

ネット環境は、思ったよりもたくさんありますが、やはりまだまだ途上国だなという印象は残ります。

そこらへんは、また次回にでも書き綴ってみようと思います。

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空港で出会った女の子とは、2晩ほど共に過ごし、先ほど別れました。

さすがにチャリ旅についていくのは無理みたいです。

怪しい関係には、全く発展しませんでしたwwwwww

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